家庭教師<1>

最近、家庭教師を始めた。中学三年生!

cielの活動で、…というわけでもないが、

cielとして、いわゆる「学問」のカテゴリーに本格的に取り組んでいくにあたっての

足掛かりになることは間違いないだろう。

バレー指導と同様に、真剣に取り組んでいきたい!


家庭教師は、大学時代にやって以来なので、かなりのブランクだ…。

今振り返ると、大学時代は、おそらく大多数の学生アルバイト家庭教師と同じで、

その場の雰囲気で、自らの学習経験だけで、勉強を教えていたように思う…(汗)。


今回家庭教師を始めるにあたり、いろいろと本を買い集めたり、自ら勉強したりした。

そういえば、バレーの指導をし始めた当初も、同じように本を買いあさって、とにかく勉強した。


バレーも学問も、過去に経験し、それなりにできた。

しかし、人に教えることになったとき、そうした過去の経験にだけ頼っていてはいけない。

「それぞれに求められる指導技術」があるだろうし、また「スポーツにも学問にも共通する指導技術」もあるだろう。

今後もそうしたことをしっかり学んで、子供たちと向き合っていきたい。


今回の家庭教師の生徒は、スポーツは得意だが、学問はあまり好きじゃない様子。

で、「大人たちは『スポーツも学問も同じだ』と言うけど、自分は違うと思う」と言っている。

僕もそういう大人たちと同じで、いや、それ以上に、『スポーツと学問との間には共通点がたくさんある』

と思っている。

もっと言うと、ある意味、こじつけてでも、共通点を見出そうとしているところさえある。


スポーツも、学問も、両方で高い成果を出そう、と考えたとき、

共通点があったほうが、断然「効率的」だからだ。


逆に、全く共通点がなければ、例えばスポーツを全くやっていない子と比べて、

単純に2倍、時間も労力も割かなければ、同等にはなれないことになってしまう。

でも、そうではないと思う。2倍なんか、かなり非現実的だし、大変だ。


一般的にも、スポーツに熱心に取り組んでいる子は、集中力が養われ、

学問も短時間集中で、よい成果を出す、といったことが言われたりする。


そんな例に限らず、様々な「相乗効果」があると思っている。


「学ぶ側」にも、そういう相乗効果がたくさんあると思っている。

そして、僕たち「教える側」にも、いろいろな共通点とか相乗効果があると思う。

実際、そういうものがあるからこそ、僕は今、「スポーツ」そして「学問」の指導をしている。


どんな相乗効果があるのか。。

そんなことも、おいおいこのブログで書いていければいいかな、と思っている。

チャレンジの意義 <2>  〜組織編〜

そして、それは組織にもそのまま当てはまる。

「安定志向」「事なかれ主義」で、問題が起こらないように、トラブルを起こさないように、

ということで、「組織をより良い形に持っていこう」という努力を怠ることは、組織にとって、

組織を構成するメンバー(子供たち)にとって、果たして良いことなのか。

そんなときは、組織の目的は何なのか、今一度問い直す必要がある。

もちろんいろんな組織があるので、一概に「良くない」とも言い切れない部分はある。

ただ、「ボランティア」の意義は、目的に向かって、

信念を貫くことであり、困難を乗り越えていくことであり、チャレンジすることであり、

そしてそうしたことを通じてメンバーが成長していくことである。

目的を持って果敢にチャレンジし、自他共に成長していく。

…それがなければ、じゃぁ、何のために時間やお金を掛けてやっているんだろう??

と僕個人的には思う。


問題のない組織などあり得ない。問題をゼロにすることなど不可能とさえ思う。

だから大事なのは、問題に目をつぶったり、「臭いものに蓋」をするのではなく、

問題に向き合って、それをマイナスに捉えず、「成長するチャンスだ」と捉えて、

解決策を模索することである。


ただ、こと「問題」といっても、種類がある。

明らかに間違ったこと、非人道的なこと、無意味なリスク、

…そういったことは、起こさないほうが良いに決まっている。

むしろ考えたいのは、「前向きな意見」VS「前向きな意見」がぶつかったときに起こるトラブルとか、

その「問題」が、その後どう活かされるか、どう将来につなげられるか、

そういったことが大事であり、そういう問題はあってしかるべきだ、ということである。

組織(特に成長志向、上昇志向の組織)には、前向きなトラブル・問題というのは

つきものであり、あるのが当たり前なのである。「あることを前提として」組織運営をする。

トラブル・問題をゼロにしようとするから、チャレンジできなくなったり、問題があるたびに落ち込んだりしてしまう

そうではない。問題はあって当たり前なんだ、それをどう解決し、乗り越え、次につなげることが大事なんだ、

という視点を持てれば、組織はどんどん良くなっていくだろう。


子供たちにとって、「環境」というのはとっても大事である。

その環境を整える意味でも、「組織の発展」の努力は怠らず、やっていかねばならないと思う。

たとえそれが、外部の、心無い大人たちから睨まれることになっても、陰口を言われようとも、

本当に子供たちのためになると思えることは、覚悟を決めて、やっていかねばならないと思う。

正しいことは貫く、という強い意志を持つ。そしてそういう姿を子供たちに見せること。

それも大事な教育であると思う。



そして、ブログタイトルにもしている「子供たちのため」ということに関して言っても、

その「子供たち」の範囲の捉え方が、人によって違ってくる。そうすると、

「子供たち」のことを考えている人同士が、言い争いになったりする。

でも、それはそれで、凄く良いことだと思う。どちらも前向きに、「子供たちのこと」を考えての議論なら、

それはきっと、前向きな結論に辿り着くだろうから。

少なくとも「私利私欲」な意見でない限り、議論・口論は、きっと良い結論をもたらすと思う。

チャレンジの意義 <1> 〜個人編〜

前にどこかで書いた記憶があるが、また改めて書いておきたい。

何か新しいことをやろうとしたり、何かを目指したり、より良くしようとしたりするとき、

(いわゆる

「チャレンジ(挑戦)」「上昇志向」「向上心」「改善改良」「成長」…などを形にしたいと思うとき)

必ずついてまわるのが、「失敗」「挫折」「ストレス」…などである。



逆に言うと、

チャレンジ(挑戦)しなければ、失敗することもないし、傷つくこともない。

具体的な例では。。

・家から一歩も外に出なければ、車に轢(ひ)かれる心配もない。

・スポーツを全くしなければ、怪我をするリスクもかなり減らせる。

・他人と極力接しないようにすれば、もしかすると人間関係で悩むこともなくせるかも知れない。

まぁ、最終的に、どういう選択をするかは、個々の価値観に委ねられる。

でも、個人的には、そんな人生、あまりに寂しい。


そして、こと子供の教育ということに関して言えば、

「ストレス耐性」をつけてあげることが、1つの大事な教育の意義であると考える。


細かい部分では、男の子と女の子とで、またちょっと違うとは思うが、

そもそも、社会において、ストレスのない生活などあり得ない。

そうした社会の中で、より幸せに生活をしていくためには、

ストレスを回避することを教えてもあまり意味がない。

ストレスといかに付き合うか。ストレスにいかに耐えるか。

そうしたことを教育する、身につけさせてあげる

(ストレス耐性を身につける機会を与えてあげる)

…ということが、子供には必要なのである。

“チームワーク”と“個”とのバランス <2>

前回の「“チームワーク”と“個”とのバランス」の続き。

「組織の発展」という意味でも、チームワークと個とのバランスは重要である。

チームワークがただただ安定していれば、組織(チーム)が発展するというわけではない。

むしろ、安定しすぎていると、発展を阻害することにつながる。

「リスク回避」「安定志向」「事なかれ主義」に陥りがちだからである。

金太郎飴のような集団は、いわゆる「見た目」はとてもまとまりのある、良い組織のように見える。

凸凹の組織は、なんかバラバラで、まとまりがないような気がしたりする。

しかし、むしろそうしたある意味「不安定」なくらいの組織のほうが、発展するケースが少なくない。

組織を構成する「個」が、それぞれ個性を発揮し、それぞれの視点で、それぞれの得意分野で行動する。

普段は各々が好き勝手なことをやっているように見えて、いざと言うときには同じ目的に向かって

同じベクトルで一致団結して、いかんなく力を発揮する。


武術の世界では、「不安定」をいかにコントロールできるか、が大事だという。

構えなどが「安定」し過ぎてしまうと、動けなくなってしまう。

スムーズな動き、素早い動きができなくなってしまう。

バレーボールで言えば、フェイントレシーブなどが良い例。

ほんの目の前のボールなのに、1歩出せば取れるようなボールなのに、足が動かず、落としてしまう。

武術の世界では、これを「居つく」という。

安定しすぎるということは、機動性を妨げるということにつながる。

組織でも同じことで、「いかに、適度な不安定な状況を維持し、それをコントロールしていくか」

といったことが、よりよい組織を目指すためには重要なのである。

もし、よりよい組織を目指すならば、そういう「困難」に、つねに向き合い、立ち向かっていかなければならない。

“チームワーク”と“個”とのバランス <1>

チームワークは、とても大切なものである。

社会において、人間は1人では生きていけない。

必ず、何らかの形で組織に属したり、組織との絡みがあったりする。

そうしたチームワークを、体験的に学ぶ機会として、バレーボールをはじめとする「スポーツ」は、

大変良い機会だといえる。

ただ、誤解を恐れずに言う。

「チームワーク」を過剰に信奉することは、「個」をつぶすことになりかねない。

チームワークを維持することばかりに気を取られると、「個」が見えなくなる。見なくなる。

いわゆる個性の強い、“凸凹(でこぼこ)”の人が集まった組織は、確かにまとめるのは大変である。

外から見ても、バラバラで、まとまりがないな、と見られたりする。

それを無理やりまとめる、比較的簡単な方法がある。

「チームワーク」を振りかざして、「個」を押さえ込んで、

“凸凹”を平らに均(なら)して、「見た目、まとまった感じ」を作ることである。

もちろん、それはそれで、必ずしも悪いとは言い切れない。

しかし、教育する側の人間、組織をまとめる側の人間としては、

ロボットの大量生産をしているわけではない。ロボット集団を作っているわけではない。

“個”1人1人を見てあげて、1人1人の将来を見据えて、それぞれを導いてあげるのが理想だと思う。

“個”を潰すことが、ある意味、まとめるためには「楽」なのだが、そこは決して楽をしてはいけない。


もちろん、逆もある。

“個”を重視しすぎることは、組織を乱すことにつながりかねない。これは言うまでもない。

だからこそ、バランスが必要なのである。“チームワーク”と“個”のバランスである。

その微妙なバランスを取ることは簡単ではないが、逆に、簡単にやろうとしてもいけない。


組織論的な視点で考えても、このバランスの取り方は、

組織の「目的」「構成メンバーの意向」「発展段階」などによって、違ってくる。


「個」を過度に重視するメンバーには「チームワークは大事だよ」と言わないといけないんだろうが、

「チームワーク」ばかりに目が行きがちなメンバーにも、「個も大事だよね」と言わないといけない。


まぁ、チームワークを意識しない人はあまりいないと思うので、「個も大事だよね」と

僕は意識して発言していこうかと思う。

ジュニアバレーに限らずだが、大事なのはクラブ(箱)ではない。クラブ(箱)ありきではない。

子供1人1人(中身)が大事なのである。

クラブは、1人1人の子供たちのためにあり、1人1人の子供たちのために運営するべきものである。



◆cielバレー塾
 http://www.npo-jcp.org/ciel/

準備の大切さ 〜勝負どころで最高の準備を〜

子供たちには、バレーボールというスポーツを通じて、

「日々の準備の大切さ」「地道な積み重ねの大切さ」というものを学んで欲しいと思っている。

スポーツにおいても、勉強においても、人生においても、とにかく「準備」が大事である。

そういうことを、まずはバレーボールを通じて実感して欲しい。

人生においては、何度か、「本当に勝負をかけるべきとき」というものがある。

そういう大きな節目のときに、大勝負のときに、自分の全てを掛けて、自分の持てる力すべてを出し切る。

そこにこそ照準を合わせて、「最高の準備」をする。



例えばテスト勉強。

テスト当日にいくらアタフタして慌てても、どうにもならない。

もちろん直前まで諦めず、1つでも覚えようとすることはある意味大事。

でも、事前に大した準備もせず、悪あがきをしたところで、成果はたかが知れている。

試験前の準備というよりも、むしろ日々の地道な勉強。ちょっとずつの積み重ね。そっちのほうが大事。



僕自身、試験勉強と言うのを、正直あまりしないタイプだった。

いわゆる「一夜漬け」「当日直前の詰め込み」で試験に臨むほうだった。

でも、自分で言うのも何だが、成績は良いほうだった。

今振り返って思うのは、決して直前の悪あがきが良かったのではなく、日々の積み重ねだった。

ちなみに家でそれほど勉強していた記憶もない。

しかし、学校の授業だけは本当に集中して、かなりしっかり受けていた。

できれば家で勉強なんか、あまりしたくなかったから、とにかく学校でやり切ろう、という意識があった。


そういえば、サッカー元日本代表監督のオシム氏が、同じような考え方(指導法)を取っていた。

とにかく居残り練習とか、自主練習とかを一切認めないのだという。

そんな練習は必要ない、というくらい、正規の練習時に、必要なことは全部やる。

もし選手が個人的に必要を感じることがあるなら、俺(オシム氏)に声を掛けろ、と。

オシム氏が自ら立ち会って練習に付き合うのだという。

確かに、これは納得である。

居残り練習とか、自主練習とか、確かにそれはそれで素晴らしいことである。

短絡的に、それらを否定してはいけない。

しかし、ちょっと意識の持ち方を間違えると、逆効果になることもある。

どういうことかというと、

「あとで自主練をするから…」といって、正規の練習時に手を(気を)抜いたりしてしまうことだ。

逆に、自主練も禁止、居残り練習も禁止、となれば、

「ここでしか、今しか、練習できない。集中してやらねば!」という意識が働く、ということも十分考えられる。


勉強で言えば、「塾」などがまさに典型例である。

僕は塾に行ったことがない。そして

塾に行っている子ほど、あまり勉強ができなかったり、授業をちゃんと聞いていない、という印象があった。

そういう子たちは、「塾で勉強するから…」という意識が自然と働いてしまい、授業を軽視してしまう。

昨今は、学校教育の質の低下とか、塾のほうが本当に学力向上に寄与するような傾向があったりして

そうならざるを得ないようなところもあるのかも知れないが。。

いずれにしても、「本筋を外す」「本末転倒」というのは、やはり良いこととは思えない。


話をバレーボールに戻す。

決して、勝利にこだわらないわけではない。しかし、何でもかんでも、闇雲に、ただ勝てばいいとは思わない。

本当の勝負どころ、ここぞというときに、しっかり結果を出す。

そのために、日々の準備を怠らない。すべてはその「大勝負」のときのために。。

そういう節目が、バレー人生において、何度かあると思う。

言い換えれば、そんな何十回も何百回もあるものでもない。

そういう何度か訪れる大勝負のときに、本当の力・最高の力を出せるように、しっかり準備する。

⇒そういう意味では、

 突発的にスケジューリングされる試合・大会は、

 もはや「照準を合わせて勝利にとことんこだわって臨む大会」には、なり得ない。

 そこに「最高の準備」は発生し得ないからである。

 それらの試合・大会は、「練習試合」と同等である。

 練習試合と同等に、「成長確認作業」として、最大限活用したい。



プロスポーツの世界では、往々にして、コンスタントに安定した結果が求められる。

しかしそれでも、それとは別に、時折訪れる「大勝負、勝負どころ」というものが必ず存在する。


勉強においては、決して「受験」自体が勉強の最終目的だとは思わない。

でも「受験」は、大きな節目・勝負どころであることは間違いない。

中間テストも大事だが、大勝負である「受験」で力を出し切れなければ、やはり浮かばれない。


人生においても、何度かそういう節目、勝負どころというものがある。

そこでいかに力を発揮できるか。そのためにいかに日々準備しておけるか。

そういうことを、今、子供たちには、スポーツを通じて学んで欲しい。経験して欲しい。


◆cielバレー塾
 http://www.npo-jcp.org/ciel/

勝利へのこだわり<3>

決して、手を抜いていい大会があるわけではない。

ただ、それぞれの大会に臨む「目的」が、大会によって違っても良いと思う。

大会の種類によってもそうだし、チーム作りのステップ(段階)に応じてもそう。

「とにかく試合慣れをするため」というときもあって良いし、

「とにかくゲームを楽しむため」というときもあって良いし、

「チーム作りの集大成として、全力で勝利にこだわってやる」というときもあって良い。

大事なのは、「目的を明確にすること」そして「目的に向かって全力を尽くす」こと。

それがつまり、「勝つことだけが目的ではない」ということである。


すべての試合・大会で「勝利にこだわる」。ただ、そのウェイトのかけかたとか、優先順位とかが、

試合・大会によって異なっても良いだろう、ということである。


さらに、全ての大会に共通した目的が「成長確認作業」である、と考える。

練習であれ大会であれ、1つ1つは「プロセス」に過ぎない。成長のプロセスである。

本当に大事なのは、子供1人1人が、選手として・人として、成長すること。

学び、上達し、そして心身ともに成長していくこと。

動物ではなく、「人」として生まれたからには、飽くなき成長を志すことが大事だと僕は考える。

それこそが「生き抜く」ということであり、人生の最期に「我が人生に悔いなし」と言える唯一の方法とさえ思う。


そして基本的には、「これで終わり」ということはあり得ない。どんな大会を経験しても、

また「次の勝負どころ」がある。

いわゆる「引退試合」の後にも、その後の人生における「勝負どころ」が待っている。

そこでも同様に、「次(の人生)につながる学び」を得る心構えが必要である。


…と、そう堅苦しいことを考えるまでもなく、

子供たちの成長を見ることは、親御さんにとって幸せを感じられる瞬間ではないだろうか。

そしてもちろん指導者としてもそうである。

無限の可能性を見せてくれる子供たち。その成長に立ち会えることを、本当に嬉しく、有難く思う。


◆cielバレー塾
 http://www.npo-jcp.org/ciel/