勝ち負け<4>
つい先日、「勝ち負け」に関して、また違った気づきを得るような出来事があったので
書いてみたいと思います。
実は昨年末、ある地域の大会で、僕が監督を務める小学生バレーチームが優勝を果たしました。
子供たちの頑張りが、僕はとても嬉しかったのです。
そのときの、とあるチーム関係者の言動です。
普段、「勝ちたい」という意識が強い人なんですが、いざ優勝してみると、
「自チームのホームページで、優勝したことは書かないようにしよう」という意向を出してきました。
それ自体、僕は良い悪いというつもりはありません。(ちょっと自意識過剰かな、とは思いましたが。。)
その人のこと、この言動のことは、どうこう言うつもりはありません。
それを受けて僕が感じたのは、「これが、いわゆる日本的な美徳ってやつなのかな〜」ということです。
勝ったことをホームページなどに書いたりすると、他チームの方が、あまり良い気がしない、とか、
(これはちょっと意味が分からなかったですが)自チームの子供たちにプレッシャーがかかるとか。。
僕は正直そう思わないのですが、でももしかすると、そう思う方も多いのかも知れないな、と思いました。
「控えめな」「日本人的な」、というところでしょうか。
で、そんなとき、ふと、過去のある経験の記憶が蘇ったのです。
「過去に、同じような感覚を覚えたことがあるな」というものです。
僕はこうしたスポーツ指導に携わる前に、ビジネス系のNPO活動をしていたのですが、
そのときの経験です。
それは何かというと…。当時ずっと葛藤してきたことですが、
「お金儲けは、悪いことなのか」ということです。
日本では、未だに「お金儲けは、何か、良くないこと」みたいなイメージがあると思うんです。
何か、卑しいというか、「お金の亡者」的なイメージです。
日本では、もしお金をたくさん稼いで、それを人に言ったりすると、どう思われるでしょうか?
もちろん全てではないにしろ、あまり良い印象を受けない人も多いでしょう。
一方で、例えばアメリカなどでは、たくさんお金を稼いだ人は、高く評価されます。
少々強引な稼ぎ方をしても、「結果」を評価されます。
そして、強引な稼ぎ方をした人も、その稼いだお金を社会に還元する(寄付する)という文化が根付いていたりします。
だから余計に評価されるんでしょう。
僕は「ビジネス系」の「NPO」という、微妙な立場で活動していたことで、
いろいろな立場の人たちの、いろいろな違った意見・考え方に触れる経験をしました。
そうして、いろいろな意見に触れ、いろいろな人と話をする中で、1つの結論に達しました。
「金儲け自体が、良いとか悪いとか、そういうことではない」ということです。
「金儲けは、手段である」ということです。「目的」ではなく、「手段」です。
「目的」は、いわゆる「企業理念」というやつです。
その理念、想いを目指すためには、組織を継続させないといけません。
さらに高い理想であればあるほど、多くの人の協力が必要です。
そのためには、多くの人の生活の裏づけが必要です。平たく言うと「生活費の確保」つまりお金です。
たくさん稼いで、たくさんの人々の雇用を確保し、理想追及のための資金を確保するために、「稼ぐ」のです。
現実問題として、大きく稼いだ人ほど、社会に対して大きな貢献をする「力」を得ます。
逆にどんな理想論を掲げ、キレイな言葉を並べたとしても、お金がなくて、大した社会貢献ができない、
という人も少なくありません。(恥ずかしながら、僕もそんな人間だった気がします。)
ただ、このとき、「目的」を見失う(見誤る)と、間違った方向へ進む可能性が出てきます。
「稼ぐ」ことが目的になってしまうと、そこの固執してしまうと、時として「稼ぐ手段」を誤ってしまうこともあります
。
「稼ぐ」ことが、「悪いこと」ではないのです。むしろ、ゼッタイ必要なんです。
会社としても、個人としても、お金を稼ぐことは、ゼッタイ必要です。
そして、しっかり稼いだその先に、明確な「目的(理念)」がないといけないんだろうと思うんです。
…これって、スポーツにおける「勝つこと」と似ていませんか?
僕の中では、これらがピタッと重なったんです。
「勝つこと」「勝ちにこだわること」は、悪いことではないんです。必要なことなんです。
勝つことに真剣にこだわり、勝ったことに自身と誇りを持って、堂々とする。
さらに前述のアメリカ的に言うと、そうした力を持つようになったら、それを卑下したりするのではなく、
むしろ全面に出して、チーム外にも感謝の気持ちを持って、外に向かってどんどん還元していけばいい。
「勝つ」という結果は、チーム外のいろんな人や他チームの皆さんのお陰だからです。
感謝の気持ちを堂々と表明し、その恩返しをしていけばいいんです。
ただ、「勝つこと」が目的になってしまったらいけない。
その先にはもっと大事な、明確な「目的」がなければならない。
選手の目的は、「選手として、人としての成長」であるべきであり、
指導者(教育者)の目的は、「広く、そうした子供、人材を育て、輩出することに寄与する」
ということだと、僕は思います。