組織には、「変えてはいけないもの」と「変えていくべきもの」がある。

信念や当初の理念などは、基本的には変えてはいけない。

一方で、社会環境・家庭環境や人の趣味趣向などが移り変わる中、いつまでも同じやり方が

通用するとは限らない。

そういういわゆる「手段」「方法論」のようなものは、どんどん進化させなければならない。

もともと、これがゼッタイ、とか「完璧な組織」などはありえない。そのときそのときによって、

また社会環境や内部環境(人材など)によって、最適な形・最適な手段は異なる。

どんな形が良いか、日々試行錯誤し、よりよい形を追い求め、追求していくことが大事。

それを「変えない」のは、ただの臆病・怠惰、である。

失敗するかも知れない。良くないことが起こるかも知れない。

もしそうなっても、反省し、ときに謝り、修正し、…とすれば済むこと。

失敗やミスがいけないのではない。そこから何も学ばないことがいけない。

チャレンジすることは大事。チャレンジしなくなったら成長はない。


ダーウィン(進化論)

 「もっとも強いものが生き残る訳ではない。もっとも賢いものが生き残る訳ではない。唯一、変化できるものが生き残る。」

テレビやラジオで、国会中継を観て(聴いて)いると、本当に総理って大変だなぁと思う。

もしかすると私利私欲のため、というのが強い総理や政治家もいるのかも知れないが、

大方は、国のためを思って、国のためになることを考え、国のために尽力しているのだろう。きっと。。

それでも、野党などから批判され、国民から厳しい眼で見られ、…報われない仕事だなぁと思ったりもする。

でも、たぶんそうなることは、みんな、なる前から分かっている。それでも総理になろうとする。政治家になろうとする。

なぜなんだろう。なぜそこまでして、国のために働こうとするのだろうか。

そこにはきっとそれぞれの信念がある。だからこそそうした逆風や逆境にも耐えられるんだろう。



これはきっと、どんな組織(のトップ)にでもいえる。

民間営利組織(企業)においてもそうだし、ボランティア団体・NPOにしてもそう。

地域スポーツ団体についてもそうだ。

割に合わないことも多い。内・外から、理不尽なことを言ってくる人間も少なくない。

投げ出したくなることも多い。それでもやらなければならない。

そこには信念があり、譲れないものがあり、譲りたくないものがある。


もっと言えば、「なぜそれをやっているのか」「なぜ自分という人間が存在するのか」

「自分の、世の中における存在意義とは」というところとつながってくる。


割に合わなくてもやる。「使命感」というのか。

「これをやりきったら死んでもいい。悔いない。」

と思えるものがあるのは、もちろんツライことも多いが、きっと何よりも幸せなことなんだろう。

今回の記事に関して、個別にいろいろとコメントを頂きました。

ありがとうございます!

「当たり前のことを当たり前に」ということを書きました。

しかし正直な実感としては、そんなにきっちりできている指導者・教育者は少数派だと思います。

「意識しているけど、なかなか実践できていない」というのはまだマシなほうで、

「意識さえしていない」という人も少なくないと思います。

僕は決して、指導者・教育者の人たちにケンカを売っているわけではありません。

いろいろと偉そうなことを書いている僕自身も、例えば今回のテーマにしても、

ジュニアバレーの指導を始めて以来、つい最近まで、悩んだり試行錯誤したりの日々でした。

関わらせて頂いたチームそれぞれのチーム事情や目指すところなどが様々だったことも当然ありましたが、

僕自身の指導ポリシーというか、スタイルというか、「楽しく」あるべきか「厳しく」あるべきか、みたいなところで

迷い、悩んだことも多々ありました。



これからもきっと、いろんなことで悩み続けると思います。

僕自身がまだ未熟だから、ということもありますが、そもそも指導者・教育者とはそういうものだとも思っています。

もちろん「尊敬されるべき存在」であるよう心掛けるのが必須だと思いますが、同時に

「永遠の未熟者」であるのもまた事実なのかな、と思います。

それはつまり、「熟すことがない存在」「これでいい、ということが永遠にない」ということです。

「常により高みを目指す存在」「永遠に伸び代を持つ存在」であるということです。

永遠に悩み続け、永遠に学び続け、永遠に成長し続けるべき存在だと思っています。


今回も名言を。。

★「我々は学ぶことをやめたときに、教えることをやめなければならない。」

 ロジェ・ルメール(サッカー指導者/元フランス代表選手)

★「20歳だろうと80歳だろうと、学ぶことをやめた者は老人である。

 学び続ける者は若さを保つことができる。人生で最も偉大なことは、心を若いまま保つことだ。」

 ヘンリー・フォード(フォード創業者)

前回の続きです。

前回は「モチベーション」というものを考えるにあたって、「厳しさ」と「楽しさ」

という、いわば相反するようなものの捉え方について問題提起してみました。

指導・教育をする際、皆さんは何を優先されていますか?


いろいろなご意見があると思います。どう考えればいいか。僕なりに考えてみました。

まず、「価値観」。この「価値観」によって、意見が分かれるのがまず1点あると思います。

「目的」とも言い換えられるかと思います。

「(子供・選手の)人生におけるスポーツの位置づけ」だとか、「スポーツに何を求めるか」などでしょうか。

これはどちらかというと、『子供・選手自身、もしくは親御さん側の視点』です。


そして次に僕が思うのは、「成長段階、上達段階、習熟段階」によっての使い分けが必要である

ということです。

こちらは、どちらかというと、『指導者・教育者側の視点』でしょうか。

企業経営(組織運営)において、さまざまなマネジメントスタイル・組織形態があり、目的や段階に応じて使い分ける、

ということと同じような考え方です。

マネジメントスタイルでいうと「ワンマン」「トップダウン」「ボトムアップ」…など、

組織形態でいうと「ピラミッド」「フラット」「事業部制」「プロジェクトチーム」「SBU」…などでしょうか。


まず初期段階(初心者)においては、「楽しい」が必要です。これが最大のモチベーションになります。

「憧れ、カッコイイ」みたいなものもあります。この辺は選手の年齢や性別によって、ですね。

たとえば小さい子は、他人への憧れよりも、自分が楽しいかどうか、のほうが重要、…などです。

そして年齢を経たり、技術的に自分自身の上達を実感するようになると、今度はより質の高い指導とかを求めるようになると感じます。

そうした段階においては、厳しい(もちろんただ怒ればいいというものではありません)指導、熱い指導などで

子供・選手のモチベーションが上がったりします。



つまり、どちらが正しいとか間違ってるとかではない、ということですよね。

どちらか一方だけ、というのは良くない、ということですね。

「楽しいだけ」でもダメだし、「追い込むだけ」でもダメ。

要は、その段階に応じた、より適切な“バランス”を考えること。

年齢・性別・その他いろんな要素を勘案し、その子・その時・その状況に合った形を選択すること。

それが大事なんだろうと思います。


教育者・指導者の皆さんにとっては、「そんなの当たり前」と言われる(思われる)方もいらっしゃるかも知れません。

確かに、「言われてみれば、そんなこと当たり前だ」と思えることでしょう。

しかし、その「当たり前」のことを、実践されていない指導者も少なくないのも事実です。

常に意識していないと、ついつい感情やその場の雰囲気に流されたりしてしまうことも多いと思います。

「当たり前のことを当たり前にやる」

基本的なことを、しっかり突き詰めて、納得するまで考え抜くということも時として必要なんじゃないかな、と思い、考えてみました。


最後に。名言を1つご紹介します。(出典;メールマガジン「今日の名言」)

★もし、世界に喜びしかなかったら、勇敢になるとか、

 忍耐強くなるとか、学ぶことは決してなかったでしょう。

 ヘレン・ケラー(教育家)

指導や教育に携わる皆さん、

皆さんは、選手・子供たちのモチベーションを、どんな形・方法で上げていますか?

昔は、いわゆる「根性論」「スポ根」とか言って、子供(選手)の気持ちなどお構いなしに

厳しくすることが良しとされてきた部分も少なからずあったかと思います。

現在でもその名残が色濃く見られることが多々あります。

しかし一方で、「厳しさは悪」「楽しませることが大事」ということが、

一部の指導関連・教育関連の書籍その他で言われてたりもします。

そういうニュアンスのものに接すると、僕はちょっとした違和感を覚えます。

「楽しませて、そうやっているうちに、自然と技術が身についていく」というのは、

ある意味でとても説得力があり、僕自身もとても大事なことだと捉え、心掛け、実践しています。

しかし、(まぁ、どんな議論でもそうなんですが)「それが全て」ではないと考えます。


たとえば、「コーディ○ーショントレーニング」というのがあります。

協会があったりして、そこの講師の方々の説明を聞くと、とても納得できるんですが、

どこか腑に落ちない部分があるのも正直な気持ちなんです。

「楽しく笑いながらやっていくうちに、自然と身につく。」

ある意味、理想的です。

でも、スポーツって、それだけじゃないはずなんです。

厳しくされ、それに耐え、乗り越えるからこそ、選手は心が鍛えられ、精神力を養うことができるのも事実です。

そうした厳しい環境で育ってきた人は、困難や逆境に強くなり、その後の人生において「打たれ強い」「忍耐強い」

人間として生きていけるだろうと思います。

辛さや苦しさを乗り越えたその先にこそ、真の喜びや感動があるのも、紛れもない事実です。


では、どちらが良いのか。。皆さんはどう思われますか??


…次回、この続きを書いていきます。

8月1日、平塚アリーナで、白鷺杯(しらさぎライオンズ杯)という
平塚地域の小学生の大会が行われました。

正直、優勝(ブロック優勝)を狙っていました。

我らが「I」チームは、今年の4月以降に入った子が過半数で、
一部を除き初心者の子たちが集まったチームです。

そんなチームが「優勝」だなんて、生意気かも知れません。

でも、子供たちは本当にこれまで頑張ってきました。

そんな子たちを見ていると、「優勝」というのも、
決して「手の届かないご褒美」ではない、と思っていました。

今回の大会は5年生以下の部での出場で、1ブロック4チームでのトーナメント。

2回連続勝てば優勝だったんです。

しかし結果は。。健闘むなしく、2位でした。。

すごく悔しい思いをしました。子供たちも、僕らスタッフも。。

そして監督として、子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今回は本当に勝たせてあげたかった。。


この悔しさをバネにして、より熱く、かつ冷静に先を見据えて、

今後の練習・試合を「一所懸命」がんばっていきたいと思います。


今回の大会を通じて、いろいろと感じたことがありましたが、
それはまた次回以降に書いていこうと思います。

とにかく子供たち、おつかれさま!
そして保護者の皆さん、応援ありがとうございました。

7月25、26日の2日間、Iチームで、初めて合宿に行きました。

…と言っても、一泊二日で、1日目は練習試合だったということもあり、

合宿というよりも「遠征」といった感じでしょうか。


自分の大学時代に経験した合宿とは、さすがに全く違いました。

まぁ、当然といえば当然なんですが。。

大学時代の合宿は。。まずのどが潰れ、寝ているときには足がつるし、

夢の中でも練習している(しごかれている?)ので、寝言でも声出しをしていたり。。

そして何より辛かったのが、意外にも、車などでの移動。。

当時僕は重度のジャンパー膝だったので、とにかく同じ姿勢で脚を維持しておくのが辛くて。。


…さて、話は戻って、Iチームの合宿です。

1日目は練習試合。地元の格上のチームにお相手して頂きました。

いろいろと勉強させて頂きました。

宿舎に入ると、入浴、食事、そして昼間の練習試合のビデオをみんなで観て。。

そして特例で花火をさせてもらったりして。。楽しく過ごしました!

2日目は午前練習。前日の内容を踏まえつつ、また試合に向けての練習などをしました。

練習後は昼食を摂って、山道を“散歩”。。

いろんなハプニングがあって、意外と(かなり)面白かったです♪

帰路につく間も、またちょっとしたハプニングがあったりして。。子供はホント面白いですね〜。

そして夜には焼肉屋で打ち上げ!


本当は写真とか撮って、掲載したかったんですが、カメラを持っていくのをすっかり忘れてしまいました。。

また何かイベントがあったときは、忘れずにカメラ持参でいこうと思います!