sponz20062006-08-05


こんにちは。

先日、「子供たちの心が見えない…教師、17年目の苦悩」という番組を見ました。

最近「教師と親(保護者)の徹底討論」みたいな番組を

よく目にするようになって、いつも興味深く見ているんですが、

そんな中、今回も興味深い内容でした。


「子ども(特に女子)が教師(大人)の言うことを聞かない」

という問題があり、それは

「肉体的な成長が早くなっている」
「膨大な情報を子どものうちから入手できてしまう」
「そうしたアンバランスが、子どもの精神状態を混乱させている」

みたいな原因があるとのことでした。

確かに、「子どもの側」を見ると、そうした原因もあるのかも知れません。

しかし、それだけでしょうか?

僕は、「大人(親・教師)の側」の問題というか、

「大人と子どもとの関係」にも問題があると思っています。



昨今、子どもにまつわる犯罪・事件が多く見られます。

それと並行して、「叱れない」大人(親・教師)が増えている

という事実があると言われます。

これは2つに分けると

「叱る術を知らない・子どもに媚びてる(主に親)」

「すぐに問題になるから、叱りたくても叱れない(主に教師)」

ということがあるのは周知の通りだと思います。




一昔前までは、「子供にとって、大人は“恐い”存在」でした。

変な意味ではなく、いわゆる「尊厳・威厳」といった意味での恐い存在でした。

だからこそ子どもは大人の言うことを聞く、という部分も

少なからずあったのは、まぎれもない事実だと思います。



前者もそうですが、特に後者の問題に関しては、僕自身

実感として感じています。

僕が行っている小学生バレーの練習で、

とあるコーチが(笑いながら冗談で)

「そんなことしてたらひっぱたくぞ」

と言ったところ、ある子どもが

「そんなことしたら問題になるんだよ〜」
「コーチ、体罰やったら捕まっちゃうよ〜」

というんです。

テレビやインターネットなどの影響なのかと思いますが、

なかなか笑えない話だな、と思っています。



「教師(外部の指導者)としては、親(PTAなど)に問題にされるから

 叱りたくても叱れない」

という事実がありますが、この背景には

「親(保護者)としては、一概に“叱る”といっても、それは

 本当に必要な“躾”なのか、ただの“体罰・暴力”なのか、

 分からない(ブラックボックスな)状態で、教師に“叱る”ことを委ねるのは心配」

という想いもあるのではないかな、と思います。


つまり、「親(保護者)」と「教師(指導者)」との間の

信頼関係ができていないときに、こうした問題が起きる

と考えるのです。

そしてこれはひとえに“コミュニケーション不足”によるものだと思うのです。



といっても、既存にあるような「教師と保護者との対話の場」みたいなことを

増やせば解決する、というものでもないと思います。

これだと、どうしてもお互いがお互いへの不満や要望の出し合いみたいに

なり兼ねないのではないでしょうか。



そうではなく、「親(保護者)」と「教師(指導者)」という

立場を超えて、各々、1人の人間・大人として

まずは個人的な信頼関係作りをする、

例えば、ホントの意味でざっくばらんな懇親会・親睦会を開くとか、

交流・ふれ合いの場をもっと作ることが必要ではないかと思うのです。

一緒に1つのことを楽しんだり、

「子ども・教育」という話題からいったん離れて

「個人的な趣味や興味」などの、あくまで本人同士の交流・関係作りを

できるような機会を作るんです。

そうすれば、いざ「子ども・教育」の話題に戻ったときに、

より腹を割って、本音の対話ができるのではないでしょうか。

普段から(ざっくばらんな環境で)情報・意見交換を取っていれば、

「親(保護者)」と「教師(指導者)」、各々の役割分担も明確になり、

“任せるところは任せる”“自身で担うべきところは自分でやる”

といった意識もできてくるのではないでしょうか。



そして、その「親(保護者)」と「教師(指導者)」との

「1人の人間対人間同士の交流・関係作り」

「ざっくばらんな環境での情報・意見交換」

を実現するための1つの方法(場)として、

「スポーツ(総合型地域スポーツクラブ)」

が最も有効なものの1つとして存在しうると考えています。

(強引なこじつけのようではありますが、実際そう思います。)

もちろん、スポーツに限らず、文化的な趣味の活動であったり、

ボランティア活動など、いわゆる「地域活動」といったものが

今、まさに求められているのではないでしょうか。


そこに参加する子どもたちが、直接そこから学びを得る、ということはもとより、

大人同士の交流の場となることが、間接的に子どもの健全育成にとって

必要なことと思われるのです。


地域の人々も巻き込んで、同じ1つのスポーツを通じて

同じ時間・空間を共有することは、大人・子ども、ともに

大変有意義なものとなると考えます。